交通システム工学科1年 5038番 T.K |
2015年3月のダイヤ改正で227系電車が投入された広島地区。新型電車の投入としてはJR西日本になって以来初めてのことである。そして、新型車両227系に目が向きがちではあるが、これまで広島地区の山陽本線を引っ張ってきたのは103系、113系、115系と言っても過言ではない。山陽本線を使って生活をしていたので、述べることにした。 この先でも用いるため、アルファベットで示す編成番号の概略を記しておく。
2010年頃まで103系4連(B、E編成)が運用に就いていた。そして、関西地区で不要となった113系(F編成17本)が京都や日根野から広島へ転入して来たのを機にこの103系4連は全て廃車となる。 しかし、転属してきた中には未更新の700番台が含まれているなど、車齢的な面で問題があった。関西地区で225系が投入されると同時に、日根野、宮原で113系が再び余り始める。そうして広島地区のF編成を潰す流れで113系(P編成14本)が広島に流れ着く。113系を113系で置き換えたのである。 暫く安泰だった115系も、F編成の廃車、115系クハ車の老朽化等で編成組み換えが起こる。そこでF編成に状態の良いクハ車が居たということもあり、老朽化したクハ車を置き換えることになった。113系のクハ車は運転台を115系仕様にして、R編成115系2500番台(クハのみ)とされた。R-06編成のクハのみ、700番台を名乗っていた。 そして、新型車両227系の登場により、103系D編成、未更新の115系が次々に廃車にされている。113系の一部編成は岡山へ転属するなど、著しい変化を遂げている。また、広島所属だったL編成は下関へ転属した。 103系4連(B、E編成)は山陽本線由宇〜瀬野、可部線広島〜可部、呉線広島〜糸崎の間で運用していた。瀬野〜八本松間は「瀬野八」として有名な峠越え区間であり、抑速ブレーキの無い103系では115系のダイヤを下ることが出来ないためである。通勤時間帯は4+4の8連を組むなどした。一方103系D編成は、由宇〜広島〜(呉線)〜糸崎でのみ運用した。日中の呉線運用は「快速安芸路ライナー」としてワンマン運転で運用に就いていた。増解結する運用は1つも無かった。 113系は103系4連と運用範囲は同じである。朝ラッシュ時には8連を組んで走る。227系が営業運転に就くまでは、運転所の留置スペース関係から日中8連で走ることも多かった。近年は瀬野まで行く運用が無かったが、F-17編成の廃車直前、走行距離調整で瀬野まで運用、折り返し下関まで走っている。 115系は下関、広島所属共に下関〜三石、可部線、呉線と運用範囲はかなり広い。朝ラッシュ時に2ドア8連が組成されることも頻繁にあった。 主に103系D編成、113系と115系のことについて述べる。 C-29編成までは、モハユニット(2000番台)の番号に合わせて編成番号が振られていた。しかし、更新工事の際、L編成になってしまった編成が多いため、残った編成は一部である。 ![]() C-30〜37編成は小山から転属してきた未更新300番台で統一されている。それらは、227系の投入で次々廃車にされている様である。 C-41〜43編成はモハユニットが1000番台である。C-41編成は最後まで瀬戸内色を維持した編成で、廃車となった。C-42編成は下関方のクハをF-04編成のクハと交換してR-07編成となっている。C-43編成は下関方のクハを除いてR-02編成となった。 ![]() ![]() 編成組成が下関方から [クハ][モハ][クモハ] となっている。昔、4連で走っていた頃はサハが組み込まれていた。 D-01〜03までが在籍していた。D-01はクモハ103-42やクハ103-86を含む編成であった。 ![]() 奥にはトイレが取り付けられている F-01〜17が在籍した。また、カラーバリエーションが豊かである。湘南色は01、02、05、06、17の5編成、瀬戸内色は09、12、15の3編成、関西更新色は04の1編成、残りの編成が広島更新色である。 03、07、08、10、13の広島更新色5編成はクハが30N更新、モハが40N更新である。その中でも、03、07、13はモハが700番台となっていた。08と10はオール2000番台である。 湘南色、瀬戸内色の編成でも、ドア開閉ボタンの取り付け方(車体から出っ張っているか)等で違いがあった。また、それによる戸袋窓の幅の違いが見られた。 F-13編成のスカートには、115系との区別をつけるために「113」と書かれている。 ![]() ![]() 40N車のモハは張り上げ屋根、窓枠サッシが目立つ G-01〜03が在籍した。G-01編成はモハユニット(未更新1000番台)のみR-01編成へ組み込まれ、G-02編成も同じくモハユニット(未更新300番台)のみR-03編成へ組み込まれた。G-02編成に組み込まれていたクハ115-622は未更新車ながらも張り上げ屋根という車両であった。これはC-14編成に組み込まれているクハ115-219と同じである。そして、G-03編成もモハユニット(未更新1000番台)のみR-04編成へ組み込まれた。この編成のクハには、クハ111-91という若番が組み込まれていた。 1本のみ在籍。全車未更新。モハは115系1000番台、クハは111系を名乗っている。 L-01〜13までは2000番台40N更新車、14は2000番台30N更新車、15、16は1000番台30N更新車、17は下関方クハのみ1000番台、他2000番台の30N更新車、18〜22は2000番台30N更新車である。 L-15、16編成のモハ車は、車端部座席ながらも転換クロスシートになっているのが特徴的である。 ![]() N-01〜12、14〜21編成が在籍。01〜12は3000番台のみ、14、16〜21はモハユニットを117系から115系に合わせ3500番台を用いている。全車両30N更新車。3500番台はブレーキのタイミングが違うため、他の番台と併結するとクハ車にフラットが付く原因になっている。クハの番号で編成番号が見分けられるため、判りやすい。 O-01〜04が在籍した。O-01、02編成は、モハユニットが2000番台、クハが3000番台となっていたため、ドア数が編成内で違っていた。現在は岡山の115系3500番台モハ(2ドア)と一緒に廃車にされたようである。O-03は神戸寄りクハのみ1000番台、それ以外2000番台、O-04はモハ114にパンタグラフが2基載った車両であった。全て30N更新車である。 ![]() P-01〜14までが在籍した。P-01〜09編成は関西更新色として転入してきた。P-10のモハユニット以外全て40N更新車である。P-06、07、11のクハ車以外2000番台で統一されている。 ![]() テールライトはクリアテールになっている R-01〜07までが在籍した。寄せ集めで組成したような体制であり、「リサイクルのR」と言われたほどである。R-01〜04、07は先ほど述べたとおりである。R-05編成の岡山よりクハ車は元F-04編成、他3両は元C-18編成。R-06編成の下関方クハ車は元F-09編成のクハ車を番台変更なく元C-24編成に組み込んだもの。下関方クハのみ鉄仮面となっていた。 227系が投入される際、機器が広島地区で初めてのインバータ制御ということもあり制約があった。 可部線にはまだ227系の運用が無い。単線ながらも朝ラッシュ時には上下線合わせて1時間辺り10本を超える列車が走っている。抵抗制御電車のみ走っていたということもあり、今この路線にインバータ制御車を投入すると加速時の電力で変電所が落ちてしまうという。実際、北陸新幹線では3本の列車が同時に加速して変電所の安全装置が作動したという例がある。 今年度中に可部線沿線にもう一つ変電所を造り、インバータ制御車の加速に耐えるようになるとされている。 227系は山陽本線を113系や115系のダイヤで走っているが、加減速、最高速の性能が異なる。113系や115系は最高速度100km/hなのに対し、227系では110km/hとなっている。現在、227系はどちらの性能も113、115系の性能レベルまで下げられている。 113系が関西から転属して来た際、全面貫通幌は取り付けられたままであった。しかし、広島支社では併結する際、貫通幌が取り付けられている車両でも貫通幌を使わない。次第に、113系の貫通幌も撤去されていった。また増解結が多い運用だが、電気連結器ではなくジャンパ管を3本繋ぐという作業を行っている。 しかし227系は、電気連結器、併結時の貫通幌が使用されるようになった。営業運転を行う前に、安芸中野駅の中線で増解結の訓練を行っていた。 A-04+A-05編成で行っていたのだが、解結の際、幌を切り離さずに解結を行ってしまった。A-05編成の幌が引きちぎられたため、在庫がある521系の貫通幌を取り寄せて装着していた。 ![]() 広島所属の編成には、クハ車の山側屋根上に編成番号が書かれている。これは、運転所建屋から編成番号が確認できるようにされているものである。下関所属の編成も広島運転所に入ってくるのだが、書かれていない。
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