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〜 東急デハ200形電車 〜

建築学科1年 5220番 S.H

1. はじめに

 今回紹介する東急デハ200形電車は約半世紀前に廃止された東急玉川線と共に廃車となった。しかしながら、完全な玉川線の車両として現存するのは本形式のみである。
東急デハ200形電車

写真1 東急デハ200形電車


2. 東急玉川線について

 東急玉川線は、かつて渋谷駅―二子玉川園駅(現二子玉川駅)を結んでいた東京急行電鉄(旧玉川電気鉄道)の軌道線であり、最大で下高井戸線(三軒茶屋駅―下高井戸駅)、砧線(二子玉川園駅―砧本村駅)、溝の口線(二子玉川園駅―溝の口駅)、天現寺線(渋谷駅―天現寺橋駅)、中目黒線(渋谷橋駅―中目黒駅)の5つの支線を有しており、「玉電」と呼ばれていた。JR山手線渋谷駅1番線ホームにある「玉川改札」は玉川線の乗換口であったことから付けられている。
 玉川線は主に多摩川で採った砂利を渋谷に輸送する目的で明治40年(1907年)に玉川電気鉄道が開業した路線が始まりであった。そのため、地元の人々からは「ジャリ電」とも呼ばれていた。やがて玉川電気鉄道は昭和13年(1938年)東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)に合併され、最終的に東急玉川線として昭和44年(1969年)まで運行したが、新玉川線建設と首都高速道路3号線の建設が主な原因で下高井戸線を除く全ての路線が廃止された。唯一残った下高井戸線は東急世田谷線として現在も使用されている。


3. 東急デハ200形電車について

3-1. 概要

 本形式は東急玉川線の最後から二番目に新造された電車であり、デハ201からデハ206までの6編成が製造された。その独特な形状から玉電の代表格とされる程人気があった。現在は電車とバスの博物館にデハ204の1編成のみ現存している。
表1 東急デハ200形電車概要

編成

2車体連接車

全長

21000mm

全幅

2300mm

全高

3635mm

製造

東急車輛

製造初年

昭和30年(1955年)


3-2. 特徴

 車体の軽量化のためにたまご状張殻(モノコック)構造を採用しており、その独特な姿から「ペコちゃん」や「いもむし」と呼ばれていた。また、本形式は乗客の乗り降りをしやすくするために車輪を510mmに小さくする、車体にボディーマウント構造の採用、いわゆるタルゴ形と呼ばれる一軸台車連接車の採用し、車体の低床化を実現した。この他、扉に合わせて可動するステップやファンデリアが装備されていた。このように、本形式は様々な先進的な技術を用いていた。しかしながら、横揺れが非常に激しかった点、複雑な構造を多数採用したため保守に非常に手間がかかった点、その他装置の老朽化等により前述の通り世田谷線には転用されなかった。
デハ200形を正面から

写真2 デハ200形を正面から
デハ200形の下部 ボディーマウント構造が特徴

写真3 デハ200形の下部 ボディーマウント構造が特徴
デハ200形の一軸台車

写真4 デハ200形の一軸台車


4. 最後に

 玉電が走っていた国道246号線は今やその面影はほとんど残っていない。地上には東名高速道路と首都高都心環状線を結ぶ首都高三号線が圧倒的な存在感を示し、地下に走っていた新玉川線は田園都市線に名前が統一された。二子玉川園も二子玉川ライズに大きく変貌した。そんな中、玉電がなくなって約半世紀過ぎてなおこの東急デハ200形は下高井戸線だった世田谷線と共に玉電を感じさせてくれ、246に路面電車が走っていたという今では有り得ないことがかつて存在した証拠であると感じた。


参考文献
  • 東急電鉄:電車とバスの博物館 玉電デハ200形の展示物
  • 林 順信:「玉電が走った街 今昔」、 JTBキャンブックス


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